浦上栄先生の貴重な言葉の数々

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「矢数を掛けよ」

…幸いに…今なお、心に射に余裕を持ち得るのは亡父の厳格なる指導訓練に従って矢数を掛けた賜物と考える。私の激しい修養期には一射ごとに反省検討しながら一日に三百射を下らなかった。肉は破れ血は噴出そうとこの修業は続けた。
射は矢数を掛けなければならぬ。矢数の掛らぬ射は付け刃に等しい。すぐに疲れ、乱れかつ将来性がない。それは言うまでもなく非常な勇気と努力を要する。しかし何事でも真剣にかかれば興味もおのずから湧くものであって、したがって苦難も苦難でなくなる。
私はこの撓まぬ精進こそ上達の唯一の方法と考える。たわむ…飽きて疲れる、心がくじける)
ややもすると現代人は理論のみにてすべてを解決せんとし、努力を惜しむ嫌いがある。いわんや真の射は科学を超越し、理論のみにては到底解し得ぬ世界をもっている。己れ自ら不屈の激しい練磨によって道を求めねばならない。
私が生命を籠めて矢数を掛けよというのはこの意味からである。人生もまたしかりと考える。「もみじの春秋」より

私達のホームページみて懐かしい昔の同志からメールをいただきました。
「初めて便りします。稲城紅葉会のホームページを拝見して懐かしく思いました。私も昭和38年10月頃から武蔵工大で浦上道場に通わせて頂いた……と申します。同期の者より遅く始めたため、早く追いつきたい一心で夢中で道場に通いました。道場に入ると浦上先生が道場の掃除をされていました、「先生、私がします」と言って箒を受け取ろうとすると、「あなたは一射でも多く引きなさい」といわれ、大先生に掃除をさせて弓など引けないとオロオロしたことなど思い出します。0091
また福留先生、小野先生、米山先生、懐かしく思います。」

その友人が手作りのギリ粉入れを送ってくれました。わたしの宝物です!

「よし!私も引いてみよう」

この当時、学校には弓道場はありませんでした。都内の弓道具店に行き、近くの道場を教えていただいたのが幸いにも浦上道場でした。学校の授業が終わると、皆で一目散にお邪魔すると、ちょうどこの写真のような状態でした。そうです栄先生はいつも暇があると道場に弓の張り台を出されて弓の村取りをされていました。

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私たちを見ると、本当にうれしそうにニコニコされて、「あ~いらっしゃい」と言われすぐに道具をかたずけて、ご自分も弓を持たれて、まずご自分が巻き藁を引かれ、そのあと皆が続 きました。ふた回りほどする間に一人、一人を、しっかりと指導されました。その光景は今でも目に浮かびます。私はよく、胸弦を手で押さえられ、ゆるむ、ゆるむ!伸びて~」と言われました。そして「…チィ,チィ、チィ,チィ、チィ ,チィ、 チィ,  チィ… パン!といわれ「伸び合い胸割りを、いつも指導して頂きました。うまく離れた時は、顔を覗き込んでニコニコしながら、あ…うまくいった!」と言われ本当にうれしそうな顔をされました。その顔は半世紀以上  経っている今日でも目に浮かびます。

本当に私は恵まれた環境で素晴らしい先生から弓を学べていたのです。しかし当時は今ほどの認識がなく、ただただ一生懸命弓を引いていましたが、今になって、はっきりと偉大な素晴らしい先生から伝統ある日置流印西派をご指導いただいたのだ ということを深く認識し、深く深く感謝している次第です。

また、私たちが的を引いていると先生も、道場の練習用の弱い弓を持たれ、私達と一緒に的を引かれました。
もうその頃は、かなりご高齢でしたのでので、矢はみな的の下に行くか、ハケ矢でした。しかし、決して矢は前後には行きませんでした御年になられても弛んだり、取られたりすることなく気力のある伸び合いと離れをしておられたのをよく覚えています。

私たちもやがて年をとり、弓がうまく引けないと恥ずかしいと思い、引くのをやめようと思う時期が来ると思います。そんな時、この栄先生のことを思い起こして、命のある限り弱い弓でも皆と一緒に引きたいと思います。

「○○さん、私の親父はかわいそうだったんですよ!昔から四つ弽を引いていたから三つ弽を使うことができなかったんですよ…でも良く中ったんですよ…」 

栄先生のお父さん(浦上直置)は、備前岡山藩士で堂射も引いておられたそうなので、その関係で四つ弽で引かれていたとのことでした。その後四つ弽で近的を引くときの、取り掛けの仕方をよく説明してくださいました。(教本2巻)そういえば、私も高校時代四つ弽で、押し手弽をして取り矢をしないで引いていたので、最初の少しの期間そのままで練習していました。然しその弽では日置流は到底学べませんので、すぐに栄先生推奨の弽(紅葉重ねp144)をオーダーして練習しました。その頃は栄先生が直々に手形を取ってくださり弽師に送っていただきました。紋を入れ良い皮のものが確か一万円だと記憶しています。いまだにその手形は弽師のところにあるようです。

15間の近的には三つ弽が有利であることは言うまでもありません。 
昨今、人まねをして若い人たちがよく四つ弽を使っているのを目にしますが、ここで、浦上栄先生が、武徳会設立のときに三つ弽を推奨された文章を抜粋してみます。


三本弽は帽子短く離れも軽く中りにも有利なり、離れに際しては引き込みたるまま離しうる
「それに反し四つ弽は帽子長く、外へ捻りを戻して離すを法となすが故に、肘の力がぬけ、肘が下がり或いはゆるむ等の原因となる欠点あり。四つカケ使用者の言い分としては三つ弽よりは立派に見ゆる事、強弓が引き得ることなどを挙げるも馬手計り強くするとも,限りある弓手の力を強くすることは絶対不可能なり。されば射は弓手を原動力となし弓手と馬手は平均す ることを主とする以上、不平均は禁物なること明らかなり。要するに馬手(押手)は弓手(勝手)の力に堪ふるをもって足れりとなす価格の点においても…」  「もみじの春 秋」p8より

 この写真は、弽を片付ける時に、「こうしておくとこの次に使うときに、使い安ですよ!」と言って栄先生が私たちに教えてくださった方法です。

 

 

「心の鏡を見なさい!」

(これは栄先生の古い直弟子 故熊沢恵様から、お聞きした栄先生の言葉です)
昨今、多くの道場には姿見などの鏡が設置されていることがよくあります。現在多くの体育館道場には、なぜか大きな姿見があります。それにまた、大きな三角定規、矢取りの控所には、なんとアレルギー物質の蕎麦殻を入れた大きな入れ物が置いてあります。(これで板付けの掃除をするらしいのですが…)(現代の3種の珍器

を見ながら引くと、引取りが楽で、なんだかうまく引けてるような気がすることがあります。しかし顔を戻して引くと今度はなんだか不安になって、又見る。と言った悪循環に陥りやすいですね。私も弱い人間の一人ですので、そのようなことが良くありました。しかしそれは決して良い練習とはいえないようですね!

   心の中の鏡に自分を照らして練習頑張ります!

浦上道場にはそのような物はありません。ただ一つ小さな丸い鏡がかけてありますが、それはこの言葉を私に伝えてくださった方が、由緒ある鏡なのでお家の中のどこかにでも、おいていただければ幸いと思い、お持ちした物だそうです。そういえば、私たちがここで練習しているころは、これがありませんでした。横にあるガラス戸に移る自分の姿を横目でチラチラ見ながら引いたのを思い出しました。

018   熊沢恵様

丸い鏡は、故熊沢恵様がお持ちになったものです

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大前で引くと右側のガラス戸に姿がぼんやり映るのを横目で見ていました。しかし現在(令和2年)は、そうした習慣をやめ、心の中の鏡を見ながら練習すると、前向きな練習ができるようになりました。

「栄先生は決して四矢を引かされなかった。いつも一手だけでした」

当時、道場には数矢がたくさん置いてありました。

一人で練習しているとき、矢立ごと射位に持ってきて練習していたことがあります。その時それを先生に見つかっていたらきっと、きつくお叱りを受けたことでしょう。事実、私の一つ下の後輩は、それをやっていて見つかってしまい、きつくお叱りを受けたことを話していました。

先生は、粗雑な練習を嫌われたのでしょう。一射一射、丁寧に引きます!

当時、夕方になるといろいろな社会人の方が練習に来られ、狭い道場がいっぱいになります。そうした時先生は写真のように矢振りを行われ立順を決めて、「大前落とし」を始められました。当時はそうそうたるメンバーで恩藏さん、田部井さん、小野さん、東さん、北信電機の方々など豪傑ばかりでした。名札が作られていてそれを動かして順位、矢取りを決められていました。また別な時には、稲垣さん、法制の監督杉田さん、また宮田さんなどもお見えになりものすごい環境の中で練習させていただいていました。他にも「源平合戦」「三光」なども矢振りをして組み合わせを決めて行います。

「○○さん、人の後ろから、そのひとのツケ(ねらい)を見ると、昔は無礼討ちに(切り殺される)されたんですよ…、とよく親父からいわれたましたよ!」

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と、練習中にニコニコされながらよく言われていました。こういった弓引きの常識を事あるごとに教えられました。現在では、頼まれもしないのに人のツケを後ろから覗いている非常識な人をよく見かけますね。頼まれたのでない限り、人のことよりも、自分の狙いを心配したほうがいいですね。心配な時は経験ある人に自分の的付を見てもらのも必要でしょう。

物見とは!

物見とはヤヨとは人の呼ぶときに、居ると答えて見向く姿よ!」この言葉も先生が良くおしゃっておられた言葉です。事あるごとに私の前に立たれて手をポンと叩かれ〇〇さんと、呼ばれたときに思わず見向くよう様にするんだよ!と教えてくださいました。後で目尻、目頭の教えに繋がっていることを理解できるようになりました。

「…日置流と私」(「同門会たより」日置流の特徴より)

「指導者講習会における講義」より s29年

「…私としましても、六十余年この流儀に精進してまいりましたが、それも射法が合理的であるからだともいえると思います。しかし先輩の諸先生方は皆故人になられまして、親に似ない不肖の私が非力の身を以てその殿(しんがり)をつとめて居ります。私の父は実に熱心な人でありましたが、丁度弓がすっかり廃れて、これから多少盛んになろうかという明治三十八年に物故しましたが、今日皆さんのご尽力で斯くも盛大をもたらしました有様を目のあたりにしましたら、さぞかし、どんなに喜んだでありましょうかと、私はそれを思う毎に何時も感慨無量なるを禁じ得ないのであります。しかし理論は永久に消滅は致さぬと思います。いづれ他日、上手な熱心な方が出られて、日置流の技の真髄を永久に伝えてくださるであろうことを、私は信じて疑わぬものであります。」

 心の熱い人!来たれ!

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