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冒頭で浦上栄先生の貴重な言葉を思い起こすことは大切です。
「…日置流と私」(「同門会たより」日置流の特徴より)
「…私としましても、六十余年この流儀に精進してまいりましたが、それも射法が合理的であるからだともいえると思います。しかし先輩の諸先生方は皆故人になられまして、親に似ない不肖の私が非力の身を以てその殿(しんがり)をつとめて居ります。私の父は実に熱心な人でありましたが、丁度弓がすっかり廃れて、これから多少盛んになろうかという明治三十八年に物故しましたが、今日皆さんのご尽力で斯くも盛大をもたらしました有様を目のあたりにしましたら、さぞかし、どんなに喜んだでありましょうかと、私はそれを思う毎に何時も感慨無量なるを禁じ得ないのであります。しかし理論は永久に消滅は致さぬと思います。いづれ他日、上手な熱心な方が出られて、日置流の技の真髄を永久に伝えてくださるであろうことを、私は信じて疑わぬものであります。」
弓を射る手段については、各流派よってそれぞれの方法と順序がある。(紅葉の春秋)
【流派とは】達人の個性を伝えたものにあらずして、終局の目的に到達する手段、即ち、如何にすれば強い弓が射れるか、また、いかにすれば矢に強い力を持たせ得るかなどについて、それぞれの最高の道を考察し、それが一般に認められた場合にかく(~流と)名づける。一般から認められないものが、いわゆる自己流である。
騎射:馬上の射を目的とする(小笠原流)
歩射:(ほしゃ)徒歩にて近き敵を射る射法(現在の十五間の近的) 日置流、吉田、印西、雪荷、大和、
堂射:京都の三十三間堂で通し矢を射る射法(ここから本田流がでてきた)道雪、竹林、大蔵
そのいずれもその目的に適するよう射法、弓具が発展してきたものです。
「日置流弓術射法大意」 浦上栄 著
その冒頭には、次のように記されている。
「射道の本意は、肝を練り、自己を正しくして筋骨を固め、法に従って的に当てるにある。故に…」
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